みなさまこんばんは、お元気ですか。
変なタイトルで始めてしまった今日のブログですが、説明しなくても
「だよねー、結局は足し算引き算だよねー」って思う方、いらっしゃるんじゃないでしょうか。
数学が一番苦手教科だった私が言っても、信憑性がないんですけれど・・・。
(日常的に起きている掛け算割り算その他にシンプルに気づいていないだけって可能性、大いにあり。)
えっと、私が言いたいのはですね。
便利なものがあふれる世の中で、安価に手に入るものも多いからこそ
その情報に惑わされて本当は足し算で解けることなのに
やたら難しく考えちゃってることもあるんじゃないかなぁということです。
SNSなんかでそういう投稿をみたら、きっと
「そんなの当たり前じゃない」と思ってしまうようなことも、
自分で実感して初めて腑に落ちるというか、自分の身に知恵となって蓄えられる、というような経験、
大人になるとたくさん重ねてきた気がします。
ちなみに、よく本で読んだことのあるフレーズって、子供の頃は想像するだけですが、
大人になると実際に体験して「おお、これが・・・」となることありますよね。
例えばですね、具体的に言うと私は、
「足元がガラガラと音を立てて崩れる」という表現を
23才の時に実際に体験したことを覚えています。
足元崩れてるくらいですから、そりゃあ困難な状況だったのは間違いないんですが、
心のどこかで「おお、これがあの・・・よく読んだフレーズの状況なのね・・・」と
思った、感じた、感覚が今もしっかり残っています(どこか冷静だったのかしら)。
感じた場所も覚えてますもん。
(会社の中二階の従業員休憩所の前)
簡単に言うと、失恋なんですけど。ふふふ。
お付き合いしていた人が他の子ともお付き合いしてるよ、って親友から泣いて告げられ
(親友の友達はその「他の子」とも共通の友達だったので知ったとか)、
単刀直入にその当時の彼に聞いたら(こういうとこ、隠せない私( ´∀` )
そんなことないっていうので信じたら(こういうとこ、信じやすい私( ´∀` )
そのあとフェードアウトされてしまった(遠距離だったので、連絡つかないとどうにもならなかった)、
そんな失恋でしたので、心から信じていたものが跡形もなく消えてしまった、
まさに「足元が音を立ててガラガラと崩れ落ちた」時でした。
他の子とも、っていうところはある意味乗り越えた
(本当はそういうことがあったとしてもいいという覚悟はあった)んですけど、
連絡が付かなくなったっていうのがつらかったです。
彼にとって私はなくてもいい存在だったんだなぁっていうのが、
自分の存在価値の軽さを悲しんだのではなくて、
私にとっての彼の価値の重さに比べてそれはなんと軽いものか、と
その簡単に言うと「温度差」が思いもよらなかったのです。
ソウルメイトだと思っていた人がそうじゃなかった、という衝撃。
うん、ほんとにガラガラという音が聞こえてました( ´∀` )
そうそう、休憩所の前で。
おじさんたちがたばこ吸ってたりコーヒー飲んでる横で、
どんなに電話してもつながらないっていうことが
決定的に分かった瞬間の、携帯握りしめてた私。
ん?なんだろう、全然悲しくない、思い出しても・・・。
どっちかっていうと、若い私がかわいく思える( ´∀` )
頑張ったなー、私。よく、乗り越えたな、えらいえらい、という感覚。
そのあともすったもんだあったので、
乗り越えるのにその後の20代ほとんどの時間を要したけれど
友達や妹の支えで乗り越えられた。わたし、ついてたなー。
支えてくれる人が周りにいたんだなー。ほんと、恵まれてた♡
あらら、話が全然違う方向に行ってしまいました。
こういうこと、言ってしまえるのも40代のすっかり大人という年齢になったからですねー。
大人って自由!大人万歳!
そして悲しみも衝撃も時が癒す。この確固たる真実。
そのことを知ったのも年を重ねたから。
(「癒す」だけで消したりはしないですよね、時は。でも確実に癒える、傷は。傷跡は残ろうとも。)
もうものすごく、タイトルから遠い話になってしまってる!
私が「例えばですね」などと言い出したらそこから話は逸れます。確実(笑)。
ほんと私のブログは話が脇道にそれて長くなるので
どうぞお時間のある時に読んでもらえれば幸いです…。
タイトルにあることはですね、
私達はたくさんの物や情報に囲まれていて
単純な解決方法が見えにくくなっているかもしれないなぁということを
最近また実感したんですよ、ってことだったんです。
家事あるあるで言うと、
・お掃除の洗剤を用途別にたくさん揃えていたけれど、
実はクエン酸とか重曹で事足りるんだ!ってこととか。
(洗剤買いに行くのが面倒くさくて手元にあるクエン酸使ったら
あれあれ、こんなものまできれいにしてくれるの?と実感した、など)
・調味料をたくさん揃えていたけれど、毎回買い足すのが面倒だし高いし、で
家にある基本的な調味料を混ぜて使ってみたら案外イケた、とか。
(昨日の私はお夕飯が餃子だったのにラー油を切らしていて、
代わりに柚子胡椒だったり塩だけで食べたらめっちゃおいしかった!とかそういうこと)
(例えばで話し出すと長くなるので箇条書きにしてみました)
私は「収納術」とか「時短家事」というワードを目にすると
ついつい情報を集めてしまうくせがあったんですが、
コロナ禍で買い物にも気軽に出られなくなってみたら
思っていたよりももっと、家にあるもので何とかできるものだなぁと気づきました。
そうしていたら、youtubeでおすすめ動画として表示されるチャンネルも
いつの間にか環境に優しい暮らしのことについて紹介するものが増えて来たんです。
それまでは、100均商品でできる便利DIY、とか、便利収納、とかを好んで見ていたんですが…。
車に乗りながら聞いているラジオでSDGsについて聞いたりすると
私が若いころに聞いていた環境保護の考え方とはだいぶ変わってきているんだなぁと知りました。
ラジオで初めて聞いた言葉なんかを検索していたりしたことが
Googleさんを通じてYoutubeさんに反映されていたんですね(笑)。
そうやって知ってみると、なんと有益な情報を与えてくれる場なのでしょうか、youtubeさんとは。
え、エコたわしって今はもう「エコ」とは言えなくなってるなんて。
(アクリル毛糸で編んだ食器洗い用たわしを私の時代は「エコたわし」と言っていましたが
アクリルもプラスチックなので使うたびに海へマイクロプラスチックが流れ出す…とか)
綿ってそんなに環境負荷がかかるものだったの…?
(WWFのサイトによると、コットンに使う農薬は世界の耕作地面積の約2.5%を占めるに過ぎない綿花の栽培面積で、
世界の殺虫剤の放出が16%されているそうです。これは、他のどの単一作物よりも多く、世界の農薬使用量の6%以上とのこと。)
→参照:
WWF「コットンって環境に悪い?サステナブルファッション視点でのコットンの生産と利用」
そういう目から鱗な情報がたくさん入って来て、驚くとともに深く反省しました。
実は日頃から、友人たちの情報の多くが、その子供たちが学校で学んでくることから得られていることに
気づいていたので、子供がいない私はもっとアンテナを張って世の中の流れについていこうと
考え、都度調べ、行動していたつもりだったのですが、少なくとも環境保護については
現在の状況に全くついていけてなかったのだな、と深く反省しました。
今は学校で環境保護についてよく教えてくださっているようですね。
たまたま見つけたこちらのブログでは、IKEAのプラントボールを使った夕食を通じて、お子さんの感想から
世の中の価値観が変わったんだなぁと実感したお母様の興味深い体験談が。
→
IKEAの冷凍『ヴィ―ガンミートボール』を食べた小学生の感想に、時代の違いを感じた。。。
そしてyoutubeで動画を作って教えてくださっている方々がいかに多いことか。
こんなに教えてくださっていたのに知らないでいたなんて。
もちろん、情報の発信の仕方は人それぞれですので、
私はやさしく素敵な暮らしをしながら教えてくださる方の動画を選んで拝見しています(笑)。
(「〇〇を論破!」とか好きじゃない…。論破。対面でなければ一方的な発信だし、いないとこで言うなんでいじめみたいで好きじゃないです。)
いきなり全てを代替えしてくのは難しいけれど、
今までだったら「突っ張り棒がすぐ落ちちゃうから100均の便利グッズ買ってこよう~」と
なっていたものを、一旦よく見て考える(・・・突っ張り棒を!)。
あれ、これ突っ張る必要ある?麻ひもで吊れば良くない?となったり。
(鴨居?天井の見切り板にねじ式のフックを取り付けて麻ひもで吊りました)
またひとつ、プラスチックの使用を控えることができました、ふふふ。
みたいな自己満足。
小さなことを積み重ねることが大事。
ミヒャエル・エンデ作の「モモ」、私と近い世代の方には懐かしい本だと思いますが
ことあるごとに思い出す一節があります。
それはモモの友達、「掃除夫のベッポ」の言葉です。
ベッポは道路のお掃除をする仕事をしているのですが、
とても終わらなさそうな長い道路を受け持つとき、
「いちどに道路ぜんぶのことを考えてはいかん。
つぎの一歩のことだけ、つぎのひと呼吸のことだけ、
つぎのひと掃きのことだけを考えるんだ」
「するとたのしくなってくる。これがだいじなんだな」
と言います。そして、
「ひょっと気がついたときには、一歩一歩すすんできた道路がぜんぶおわっとる。
どうやってやりとげたかは、じぶんでもわからんし、息も切れてない」
「これがだいじなんだ」 と。
46才の今、この言葉が沁みます。
もちろん、本当に環境のことを考えるとのんびりしている時間はないこともわかりますが、
人間が100人いたとして、そのうちの1人だけが完璧なプラスチックフリーで
環境に良い生活をしているよりも、100人みんなが完璧でなくても
お互いのことを考え、環境に優しい生活をする方が地球を守れる気がしませんか。
それに私たちは学べるから…。
今日はひとつだけ環境にいいことができたら、
明日はきっともっとできるようになる。
興味も湧いてくるから自然と情報も入ってくる(私のyoutubeおすすめ動画のように)。
いつの間にか、100人が優しい暮らしをできるようになってるかもしれない。
(中には興味を示さない人がいると思うので、「かもしれない」。
でも人にはその人のタイミングがあるから、急かしたり無理強いはしなくていい)
私はとりあえず、麻ひもたわしを使ってみたくて。
食器洗い用スポンジの買い替え時期が来たので、
母に編んでもらいました(笑)。
(ここで輸送による環境負荷が発生しているというご指摘があるかもしれませんが、
母がもともと送るつもりでいてくれた荷物に入れてもらいました。)
いろいろ試してみて~、とたくさん編んで送ってくれました。
とりあえず二枚使ってみていますが、問題なしで洗えています。
ただ、ちょっと分厚いかも・・・。
たわしとしてはお鍋洗うときなんか最高ですが、
グラスなんかを洗うときはもうちょっと薄いほうが
内側を洗うときに底まで届きやすいかな、と思いました。
コットンの糸でも作れるようなので
苦手なかぎ針に挑戦して今自分で編んでいます。
かぎ針編みが苦手な私の話は
2009/09/15
おとといのかぎ針編みが、いままでの苦手意識もなんのその、楽しかったから…。このまま調子に乗ってみたい私ですが、そういえば、一度だけ前にもかぎ針したことあったなあ、と思い出しました。それは、お友達の娘にプレゼントした小さなバッグ。そのときも確か、かぎ針編みを克服したいと思って挑戦した…
結局かぎ針編みは苦手なままなので…、仕上がりはいつになることやら。
でも頑張って仕上げてみます!
すでに編み目がガタガタ!でもいいの。
惜しみなく使えるはず…。
思えば昔の人はプラスチックなんかない中で生活していたんですよね。
それも、足し算・引き算なのかもしれない。
意外と、小学校・中学校で習ったことでいけるのかも…。
私は数学が苦手だったので、足し算も引き算も、なんなら掛け算も割り算だって
簡単な方がいいなぁ・・・(笑)。
たくさんの物をそろえて在庫をチェックして買い足すより、
少ないもので使いまわせたら、私には楽だなぁ、と思いました。
現代の生活の中で「当たり前」になりすぎて気づかないこと、
気づかせてくれたのはラジオもそう。youtubeもそう。
情報が入ってきたときに、柔らかい頭と心で受け止められる大人でいたいなぁと思います。
鵜呑みにするのではなく、吟味する大人ならではの賢さも持って…。
本当に今日もまた長々ブログになってしまいました。いつもだけど。
足し算やら失恋やら環境保護やら、
取り留めのない内容になってしまいしたがいかがでしたか。
恋のお話なんて初めてした気が。でも照れる気持ちもないという(笑)。
大人最高ですね。過去が優しくなる。
いつか、前にちらっとお話しした、大好きだった芸能人の方のお話もそのうちしますね。
お話しした失恋を癒すため、現実逃避してたらその方にはまってしまったんですよ、実は。
それではそろそろおしまいにしなくては。
今日の私地方は風が強くて寒いです。
みなさま、暖かくしてやすんで、明日もまた元気に楽しいこと発見しましょうね!
私は湯たんぽ猫のポッケちゃんを抱っこして寝ます♡
今日もお付き合いくださりありがとうございました。
おやすみなさい、どうぞ良い夢を…。